バレエコラム バックナンバー  11〜20

[☆バレエコラム11]
- くるみ割り人形 -

                         
 

  12月になると世界中のあちこちの劇場で上演される「くるみ割り人形」
  初演は1892年、ロシアのマリインスキー劇場。
  原作は、ドイツ ロマン派のE..T.Aホフマンの小説
「くるみ割り人形と王様」をアレクサンドル・デュマがフランス語に
  翻した
「はしばみ割り物語」(はしばみはヘーゼルナッツのことです)
  チャイコフスキーの曲、マリウス・プティパとイワーノフの振り付けでの上演でした。
  その後「くるみ割り人形」はさまざまな演出、ヴァリエーションで上演されています。

  
・・・・・・あなたの好きな「くるみ割り人形」はどんなお話でしょう。

  今回は「くるみ割り人形」のことをご紹介します。

  ちょっと怖いお顔のくるみ割り人形。
  その生まれ故郷は旧東ドイツのザクセン州とチェコの間にあるエルツ(鉱山)山地。
  スメタナの交響詩「わが祖国」にうたわれるヴルタヴァ川がエルベ川と名を変えるあたりの街ザイフェンという
  小さな村です。
  この街は15-6世紀にかけて銀、錫鉱石採掘で栄えました。鉱山が閉鎖された後、村の人々を支えたのは、周囲の
  豊富な木材を利用した木製のおもちゃの手工業でした。

  くるみ割り人形はどうして怖いお顔をしているのでしょうか。

  その昔、決して楽ではない村人達の生活に追い討ちをかけるように王様や役人達は重税をとりたてました。
  その辛さを、硬いくるみを割るための怖い厳しい顔のくるみ割り人形に託したという説があります。
  また、権力への無言の抵抗、皮肉、社会的な批判をその顔で語っているともいわれています。
  1870年頃、最初のくるみ割り人形を作ったサイフェンのヴィルヘルム・F。フュヒトナーは、くるみ割り人形の父
  として世界中に知られています。

  写真は、モーリスセンダックの絵本「くるみ割り人形」です。

[☆バレエコラム11]
- チャイコフスキーの ♪くるみ割り人形 作品71♪ -

                   

  ビョートル・イリイイチ・チャイコフスキー
  「くるみ割り人形」はチャイコフスキーが作曲した3大バレエ最後の作品で、最晩年の円熟期52歳の頃に書かれた作品です。
  皇室マリンスキー劇場支配人フセヴォロジスキーは1890年新たにバレエ音楽を作曲するようチャイコフスキーに依頼しました。

  E..T.Aホフマンの童話「くるみ割り人形とねずみの王様」をA.D.デュマが翻案した原作に、振付師プティパが書き上げたバレエ
  台本に細かな要求(音楽の調性、小節数、テンポ)に応じ

  
「音楽を筋立てに引き入れることに努め、舞踊や演劇表現と対応し得るような音楽を作曲するよう努力した」

  と残された書簡に語られています。それまで伴奏音楽の域にとどまってたバレエ音楽がチャイコフスキーによって、
  バレエ音楽そのものの存在が確立され、そして後のストラヴィンスキー、ブロコフィエフなどに影響を与えたといわれています。

  いまでもXmasシーズンに世界各地で上演され愛されているバレエ「くるみ割り人形」の魅力は、雰囲気に溢れ、名旋律が
  いたるところにちりばめられている、印象派的音響画のような魅力あるチャイコフスキーの音楽をなくして語ることはできません。

  交響曲や協奏曲が人生の苦悩を表現するのと対照的に、優雅さや美しさをもった音語であるバレエ音楽を作曲することで

 
 「人生はなんと短いのだろう」

  と日記に記している自らの人生の均衡をとるような思いもあったのかもしれません。
  作曲中に2歳下の妹が亡くなりました。チャイコフスキーは幼年期を回顧し、妹への追悼の思いで曲をかきあげたと
  いわれています。

  チャイコフスキーは民族舞踊に関心を寄せていました。全曲を通じフランス民謡などが巧みに引用され、少年合唱や
  当時登場したばかりのチェレスタ(オルガンに似た鍵盤楽器 celesta=イタリア語で「天国的な」という意味)や、数々の玩具
  楽器を導入し、童話の世界を豊かに表現しています。

  第一幕のトロンボーン、玩具楽器、雪のワルツでの合唱、中国の踊りのフルートのオクターブ跳躍、そして、チェレスタによる
  金平糖の精の踊り・・・・・・。

  そして、この「くるみ割り人形」には、人間がもつ身体のリズム感覚が備わっているようです。
  聴くものが自然に躍動感を感じ、その音楽の中に浸る心地よさが全曲を通じて流れています。


  参考文献:「バレエ音楽百科」 音楽之友社 小倉重夫 1997年


[☆バレエコラム12]
- 第9とバレエ -
                           

                                    

 
 年末といえば第九。
  メロディが聞こえてきそうなほど親しまれているのは、ベートーヴェンの交響曲第九番ニ短調作品125の第四楽章の合唱及び
  独唱「歓喜の歌」

  1937年 J・ローゼンシュトックが新交響楽団(現NHK交響楽団)音楽総監督に就任した際「ドイツで習慣として大晦日に第九を
  演奏している」と紹介しました。日本で年末に第九が演奏されるようになったのは、1940年代後半、オーケストラの収入が
  少なく、年末年始の生活に困る楽団員の現状を改善するために、演奏に参加するメンバーが多く、たくさんのお客様が入る
  この曲を、日本交響楽団(現NHK交響楽団)が年末に演奏し、それが定例となったことが発端とされています。
  西ドイツの国歌とされていたこともあり、1990年東西ドイツ統一の式典でも演奏され、2004年には欧州連合(EU)が
  欧州連合賛歌として採用しています。
  バレエ公演の指揮もされている指揮者、小田野宏之氏(現 東京芸術大学非常勤講師)が第九を語った中の一部を
  ご紹介します。


 
 「第九」はベートーヴェンのそれまでの8つの交響曲とはいろいろな意味で異なっている。最も大きな違いは、ベートーヴェンが
  描こうとしていた世界がそれ以前のものに比べてけた違いに大きく壮大で、まさに宇宙的と言える規模のものであることだろう。
  第一楽章の対象はあくまで人間の世界である。第二楽章でも対象は現世。
  しかし、第三楽章にはいると、現世と天上の世界との間をさまよいだすように思える。この世のものとは思えないほど美しい
  テーマと、ものすごく人間的な3拍子のテーマとの対話は、演奏していても自分が地球に踏ん張って立っていることを忘れて
  しまいそうである。その後に立ちはだかる第四楽章は、明らかに現世にいる我々人間と星空の彼方にいる神あるいはその
  側近との対話にほかならない。
  シラーの詩に自分が求めているテーマの普遍性を見つけたベートーヴェンは、その「ことば」(シラーの詩)によって直接的に
  メッセージを送ると同時に、背後にある国や時代を超越した普遍性に、彼の書く音符が創造する響きを一体化させたかった
  のではないだろうか?


  
この第九がバレエになっているのをご存知ですか?
  ベジャール振付 祝祭バレエスペクタクル「第九交響曲」
  初演は1964年。99年にはパリ・オペラ座バレエ団が日本で上演しました。
  ベートヴェン第九交響曲を完全に舞踊化し各楽章が「風火水土」の四大元素と結び付けられ、宗教的祝祭のよう。
  ベジャールによって「音楽」が「舞踊」に転成され、耳慣れたこの曲がバレエのために作られたように聞こえるほどです。

  ベートーヴェンの第九への思いが《新しいことのはじまりの交響曲》として受け入れられ、そして「第九」のもつ壮大な広がりを
  持つ高揚感が、一年の締めくくりから新しい年に向かう時期への思いと重なり・・・だから多くの人によって、大晦日から
  新年にかけてのこの時期に聴かれ続けているのでしょう。

[☆バレエコラム12]
- 白鳥 -

                        

  白鳥は渡り鳥。日本へ飛んでくる白鳥は、ユーラシア大陸北部のオオハクチョウや北極圏周囲部ツンドラのコハクチョウです。
  シベリアでは9月になると気温が氷点下となり氷にとざされてしまうので、白鳥たちは北風に乗って何千kmもの旅をして日本へ
  やって来ます。一旦北海道へ降り立ち、休息し栄養を取り、10月中旬本州へ渡り冬を過ごし、春の訪れとともにシベリアに
  向かう南風が吹いてくると、今度は群れごとにまず北海道を目指し、その後シベリアへの風に乗り時速100qのスピードで
  3〜4日かけて一気に目的地を目指し帰っていきます。

  ・・・そして、黒鳥。オーストラリア大陸には身体も足も黒色のコクチョウが住んでいます。
  このコクチョウは渡り鳥ではなく留鳥で、生まれた場所で一生を過ごします。

  白鳥のヒナは灰色。
  黒鳥のヒナは・・・やっぱり灰色なのです。

  白鳥は、親子・仲間の絆が強く、越冬の時期が終わっても、傷ついた仲間のためにいつまでも飛び立たずに残ることも
  あるそうです。

  バレエ「白鳥の湖」の物語のお話は、ハイネの詩をもとにしたオペール作曲の「妖精の湖」
  そして伝説をもととした18世紀の作家ムゼーウスの童話「奪われたヴェール」がもとになっているといわれています。
  白鳥の姿で「白鳥湖」に水浴にやってきた妖精の娘のヴェールを奪い、再び白鳥の姿に戻れないようにして、人間の男が
  彼女を妻にするという物語です。
  世界各地にそんなお話が伝えられています。
  日本にも世阿弥の「羽衣」でも知られているように「天女の羽衣伝説」といわれるお話が各地に言い伝えられていますね。

  ムゼーウスの物語の舞台として登場する「白鳥湖(Schwanenteich シュヴァンネンタイヒ)」は、ドイツ東部ザクセンの
  ツヴィッカウ(Zwickau)にあります。
  この街で、1810年6月10日ロバートシューマンが生まれています。
  「白鳥の湖」がクラシックバレエの代名詞のように言われ、初演から100年以上を経てなお多くの人を惹きつけるのは、
  チャイコフスキーの音楽、バレエ作品としての様式美などさまざまなことが挙げられますが、白鳥自身の美しさ、そして
  ファンタジーの世界の魅力のためではないかと思います。

  
バレエにも造詣の深い、作家 萩尾望都さんの言葉

  
ダンスのもとをたどれば、神さまに捧げる踊りであり、その神さまというのは、人間が人となったと同時に作り出したのでは
  ないかと思います。だから、神さまを含む幻想世界は人間の生きる本質と深くかかわり、ファンタジーは人間の内面に潜む
  何かを表すものでお風呂に入るみたいに、人はときどきファンタジーの世界にはいってリフレッシュしてくる必要があるんじゃ
  ないでしょうか。踊り、音楽、絵画、人間にとって必要なものであり、それとどこかで関わっていかないと人間は人間らしく
  生きられないのではないかと思います。


  
そして、ムゼーウス

 
 「理性とファンタジー、どちらも人間の精神にとって重要な存在だ。ファンタジーは人間精神の最愛な幼友達であり、
  青い莢(サヤ)から魂が成長しだすときから、晩年肉体組織が老い萎びていく時まで、生涯を通じての最も親密な仲間なのです」


  参考文献: 「永遠の白鳥の湖」 森田 稔  新書館  1999年
          「別冊太陽 バレエ」 平凡社  1994年
          「ドイツ人の民話」 ムゼーウス 国書刊行会 2003年
[☆バレエコラム13]
- 下村由理恵さん -

                                 


  
下村由理恵さんの舞台を続けて2つ観ました。

  オリジナル脚本による全3幕の「くるみ割り人形」金平糖。

  スタジオでの舞台稽古、前日のリハーサル、ゲネプロ、本番を近くで拝見させていただくことができました。
  同じ舞台に立つ人達、スタッフへの矜持ある姿勢。
  ご自身が向かっているもの、空間、時間を含めすべてのことへの真剣な姿勢に経験に裏打ちされた温かく厳しい
  ブライドを感じました。
  その姿勢から感じたこと・・・バレリーナとしての・・・というより、人としての品格。
  以前のコラムにも書きましたが、下村由理恵さんが紙面で語られています。

  舞台での表現は、自分1人で作るものではありません。
  リハーサルに挑む前には自分の役を研究し、ストーリーと照らし合わせ自分だったらこうしたいとイメージをふくらませます。
  振付家、演出家の要求を、いつでも両手を広げて受け入れられるようであること。そして、自分では考えられなかった表現を
  自分のものにする、そのことが他の作品を踊ることに必ず役立ちます。
  表現は自分ひとりで作るのではなく、脚本家、演出家、相手役、まわりのキャラクター、音楽、衣装、そして美術・・・それら全て
  が一つとなってできることなのです。


  この言葉通り、確固たる自分があり、そして舞台芸術という世界の中で、人・物とのコラボレーションにより、よりよい世界を創り
  上げるために自分自身も多様な変化を受け入れ、そして舞台を作り上げる全ての人々から受け取るものをさらにそれ以上にして
  表現する。それが自然なものとして伝わるまでご自身の中で消化させた表現。

  こんな由理恵さんの姿勢が、観客への誠意を感じる、本当の意味でのプロのバレリーナ、類をみない演技力のあるバレエ
  ダンサーという様々な評価となっているのでしょう。


  もう一つは「夜叉ヶ池」の白雪姫。

  原作は泉鏡花、艶やかで流麗な文章の中の、人間ではない妖しいものたちの幽玄な世界が、バレエの中で一幅の絵巻物の
  ように繰り広げられました。
  人間としての命が終わり、池の中の物の怪の世界へと降りてくる白雪姫。由理恵さんの白雪姫は、海外での経験の故か、
  日本の戯曲原作の中にありながら、インターナショナルを越え、ユニバーサルな妖怪的な魅力さえ感じられる白雪姫でした。

  若手バレリーナと下村由理恵アンサンブルを結成し、バレリーナに多くの舞台を立つ機会を与え、若手育成に力を注いでいる
  ことも篠原聖一さんと供に歩んでいらっしゃる下村由理恵さんのバレエの想いの形だと思います。


[☆バレエコラム14]
- 色 -

                          


  色の持つイメージは、時代や民族の文化によっても違い、個人の好みも千差万別です。
  バレエの衣装の色は、バレエ芸術が生まれ育まれたヨーロッパの文化に基づいた色です。
  バレエにまつわるいくつかの色についてご紹介します。


  〜オーロラ〜
  「眠れる森の美女」のオーロラ姫のピンク色のチュチュ。「ヨーロッパの伝統色」に「オーロラ色」として載っています。
  オーロラは南北極地方の空にかかる極光。
  ローマ神話の暁の女神アウロラ(Aurora)に由来し、18世紀の終わりごろからわずかに薄明の空を色づける
  淡いピンクを表す色ようになりました。百年の眠りから目覚めるお姫様にふさわしい色ですね。


  〜青い鳥〜
  ヨーロッパでは一般的に老若男女を問わず青を好む民族が多く、フランスでは青は国王の紋章の色、
  すなわち国王の色です。
  「青い血」という言葉があり、貴族または名門の血統ということを意味します。
  白い肌に透けて見える青い血管が貴族としての誇りだったのです。
  Blue Bird 青い鳥。
  「眠りの森の美女」オーロラ姫とデジレ王子の結婚式で登場するブルーバード。
  18世紀初めヨーロッパの童話から、青い鳥はあこがれの象徴とされるようになり、ベルギーの作家メーテルリンクの
  戯曲「青い鳥」で幸福の象徴として描かれてからは、青い鳥=幸福のイメージができあがりました。
  また、空の色を表す青はヨーロッパ人にとっては神のいる至上の天空を表す色であり、崇高な感情の対象でも
  あることも青色全体のイメージに貢献しているようです。


  〜リラの精の紫〜
  「眠れる森の美女」に登場するリラの精。青っぽい衣装は、どの妖精よりも気品に満ちています。
  その色を作りだすための具が希少で貴重だったため、古代ローマの時代から権威と権力を持つ皇帝の
  象徴色となりました。日本でも古来、紫は高貴な色とされています。


  〜白と黒〜
  白は、人間が純粋さを求めるあこがれの色。無垢、清潔、シンプル、慎み深さ、神、天使、永遠、
  そして亡霊、死をも表す色。
  黒は、人類の遠い歴史の中で、常に不吉で恐ろしいものの色とされ、過ち、罪、悲しみ、孤独、厳格、死を表す。
  そして魅惑的な深い闇をたたえる色。
  白と黒はともに人類最古の基本色彩です。
  「白鳥の湖」のオデットとオディール。白鳥と黒鳥は、人間の内面を表す対比としてあまりにも象徴的です。

  「色」それは、それぞれの国の文化の違いを越え、人々の心に訴える作品があります。
  バレエの衣装の色にも意味があり、舞台の上から私たちの視覚にそして心にさまざまなことを訴えるのです。


  
(写真:アトリエ小人形館「リラの精」より)

  参考文献:
  「ヨーロッパの伝統色」
  福田邦夫 読売新聞社 1988年

  「色彩の世界地図」
  21世紀研究会 文藝春秋 平成15年

  「ヨーロッパの色彩」
  ミシェル・パストロー パピルス 1995年



[☆バレエコラム15]
- ティアラ -

                                

                                     ティアラ
                                  dignity and beauty
                           バレエの世界のプリンセスのヘッドドレス。

  古代エジプトでは、生前の功績や敬意を表わす印として遺体にティアラを着用させていたそうです。
  ギリシアでは、神々がその神性を象徴する植物のリースを冠していました。そして、ローマ帝国時代には最高位の
  シンボルとして用いられるようになります。
  18世紀にジュエリーとして復活したきっかけを作ったのは、
ナポレオン
  ローマ帝国皇帝の権威を自らに重ねるようにティアラを権力の象徴として用いました。
  そして宮廷公式の場で女性にティアラを着用させ、フランスは再びブルボン王朝時代の華やかさを取り戻したのです。
  19世紀には王侯貴族が重要な儀式に着用していましたが、南アフリカでダイヤモンド鉱山が発見され、20世紀になり
  プラチナが用いられるようになると、女優や富裕階級が社交的な機会でつけるようにと変化していきます。
  
  アメリカ
では、権力の象徴と結びついてたティアラは、当時の共和制政府にふさわしくないと、エイグレット(頭のサイドや
  センターを飾るジュエリーにダチョウの羽が揺れ鳥が髪に舞い降りたような装飾の物もあります。
  
  ロシア
のティアラは、伝統を感じさせるデザイン。
  民族衣装の髪飾り、浅いカーブの扇型のようなココシュニックスタイル。
くるみ割り人形のトレパックの髪飾りの形です。
  
  1900年のパリ万博で日本美術が紹介されると、アール・ヌーボーのジュエラー、ルネ・ラリックは日本=秋津島=トンボの
  デザインをしたティアラを作りました。

  女性の社会進出に伴い、コルセットなしのドレスやショート・ボブのヘアスタイルが主流となった1920年代には、
  それに合わせた細身のシンプルなティアラ「バンドー」(額にぴったり巻く形状)が登場します。
  デザインは、これまでとは異なるユニークなアール・デコの幾何学デザイン。

  歴史の中で、神、権力、階級、美などの象徴とされ、使われるモチーフや形状にも謂われ・象徴が盛り込まれ、一族や
  国の文化歴史が凝縮され、その時代背景の中で変遷するヘッドジュエリー・・・ティアラ。

  イギリスのWikipedialにはこんな記述が載っていました。
  「フィクションの世界では、スーパーヒロインがティアラを付けています。それは、投げる
武器になります。
   セーラームーン
やセーラー戦士たちのように」

  ティアラは本来、既婚女性のためのもので、結婚の贈り物だったそうです。
眠りの森のオーロラ姫、くるみ割り人形の
  金平糖姫、シンデレラ、結婚を控えたその頭上に煌くティアラ。
  少女から女性へ、美と、そして生きていくための強さをも兼ね備えるような力をティアラが与えてくれるのかもしれません。


  写真
は、トリノオリンピック金メダリスト荒川静香選手に、開催地トリノ市が属する金細工で有名なピエモンテ州などから送ら
  れたティアラ。
  金とホワイトゴールドに総計4カラットのダイヤモンドがちりばめられ、価格は5万ユーロ(役695万円、贈答時の価格)
  このティアラの名前は古代ギリシア語で「リボン」を意味する「ディアデマdiadema」、王位という意味もあります。
  5本のゴールドの線が額にかかる、クールで現代的なデザインのティアラです。

[☆バレエコラム15]
- シンデレラ -


                            

  「シンデレラ」
は、プロコフィエフの音楽を得て1945年に全幕バレエとしての初演が行われました。
  シンデレラのお話といえば、ディスニーのアニメーションで広く知られていますが、元のお話について
  少しご紹介します。

  以前ご紹介した白鳥伝説と同じように、シンデレラのお話は世界のあちこちに伝わっているお話です。
  ヨーロッパに広く伝わる民話をバジーレ(イタリア1573-1632)ペロー(フランス1628-1703)、グリム
  (ドイツ1786-1859)
が採話してそれぞれ物語としました。一番古くは9世紀の中国にも金の靴の民話が
  あるそうです。

  ガラスの靴は、当時貴族しか用いることのできなかった高級素材の銀リスの毛皮のスリッパの誤用であると
  いう説があります。
  時と場所を経て、今世界中に伝わっているシンデレラのお話の靴がガラスの靴であるということは、透明感があり、
  壊れやすくそして現実にはあり得ないガラスの靴の持つイメージが童話の世界にあっていたからかもしれません。

  継母や義姉たちから働き着しか与えられず、家中の仕事を押付けられ「灰かぶり」とされたシンデレラは、
  仙女の呪文によって美しくなったのではありません。シンデレラの美しさは、本当のお母さんにもらったものです。

  小さな娘を残して天国に旅立つ前に、母は「いつでも天国から見ています。お墓の上に木を植えなさい。何か欲しい
  ときにはその木をゆすりなさい。困ったときには必ず助けてあげます。ただ、信心深く善良にくらしなさい」
と言い残して
  いたのです。

  亡き母のわが娘への強い想いに包まれたシンデレラは、お母さんのお墓に植えた木をゆらし願いをかけ、その木から
  もらった美しい洋服を着て、「露にあらわれたバラのように美しく」なったのです。 実母のお墓に植えられたハシバミの
  木。このハシバミの木は人の心の中にはぐくまれた母性的存在のイメージを現すそうです。子供時代に母の愛を受ける
  ことで、人は心の中に人間に対する基本的信頼感を育み、人生に自信を持てるようになり、さまざまな苦労に耐えられ
  る力を培います。母亡き後も、母親に愛された記憶がその内側で維持され続けます。そして木が大木へと育つように、
  母を失った悲しみに留まっているのではなく、母に愛された記憶によって内面に育まれた、人間や人生に対する基本的
  信頼感を育て、この先の人生に立ち向かっていく希望を育ててくれるのです。その木が育っていくとともに。

  そして、嫉妬や分不相応な欲望は、ことごとくそれを抱いたものを不幸にしてしまうのかもしれません。意地悪な継母
  義姉によるいじめは、主人公が生きていく上で出会う数々の障害の象徴であり、その困難にめげずにけなげに努力
  し果敢に行動すれば、最終的に道は開かれ、必ずや幸福になれるということを童話は語っているのでしょう。

  そしてまた、人間の心の中には必ずしも美しいものだけではなく、自分よがりな意地悪な感情が眠っているのかもしれな
  いということ、人の心の奥底に潜んでいるものに対して、警告を与えているのかもしれません。

  1948年、アシュトンによってイギリスにもたらされたシンデレラは、イギリス演劇や伝統的なパントマイムに則って、継母
  や義姉達を男性ダンサーが演じる
ようになっています。意地悪さをユーモラスに包み込むことによって、その報いが
  観ている側にも受け入れられやすくなるのかもしれません。


 
参考文献:
   新国立劇場2007年公演「シンデレラ」パンフレット
   「グリム童話を読む」  小澤俊夫1996年岩波書店
   「グリム童話のなかのぞっとする話」金成陽一1999年
                            大和書房
[☆バレエコラム16]
- バレエは総合芸術 -
  

                              

   バレエは、舞台総合芸術です。
  文字を持たない民族はあっても言葉を持たない民族がないように、舞踊を持たない民族はないといわれています。
  時の流れの中で舞踊は変容、発展を遂げバレエが生まれました。ギリシヤ神話の芸術を司る神ミューズとは、全能の神ゼウス
  と記憶の神ムネモシュネとの間に生まれた9人の女神のこと。カリオペ(叙事詩)クレイオ(歴史) メルポネペ(悲劇)エウテルペ
  (抒情詩)エラト(恋愛詩)ウラニア(天文・占星)タレイア(喜劇)ポリュヒュムニア (音楽・幾何学)そして舞踊の神、テレプシコーラ
  日本では古事記の、天照大神の天岩戸での踊った天宇受売命(あめのうずめ)は、芸能の始祖神とされています。

  イタリア、ルネサンス期の宮廷文化の中で生まれ、ルイ14世の下フランス、ヴェルサイユ宮殿で体系づくられ、帝政期ロシアで
  更なる発展をしたバレエ。20世紀初めのバレエ・リュス(ロシアバレエ団)によって、バレエは作曲家、画家、デザイナーとのコラ
  ボレーションによる総合芸術となりました。

  その時その場所でしか出会えない一度だけの感動を創り上げるために、舞台監督、振付家、美術、照明、衣装製作、大道具、
  小道具、音響、メイクアップそれぞれをサポートするたくさんの人の力が結集した舞台総合芸術です。
  そして、もちろんその中心にあるのは「ダンサー」。多くの人の力を纏い、生きているダンサーの身体の表現に出会う
  一期一会。それは瞬間のいのちの凝縮に出会うことだと思います。

  いのちとは・・・聖路加国際病院名誉院長、日野原重明さんは、いのちとは、自分が持っている自分で使える時間である、と
  「いのちの授業」を通じて小学生に語っていらっしゃいます。

  舞踊は人間の日々の暮らし、社会風土の中にありました。収獲(収穫)の喜び、自然への感謝、神への畏敬、闘いのため、
  また、集団の中で互いの理解を深めるために、人々は自分の身体でリズムを刻み踊ってきました。それは、人が生きて
  いくことそのものでした。その演目を通じてダンサーが全身全霊で舞台から発する力から何を受け取るのかは、その時の
  あなた次第です。

  感じ方は人さまざまです。その時の体調や心のあり方によっても受け取れるものは異なります。舞台から発せられるパワーが、
  大きな波のように客席を覆い、言葉に表せない思いに包まれる。ダンサーの跳躍、回転、美しいポーズ、目の前の舞台で演じら
  れていることが、そのまま自分の身体に伝わってきます。それは、生きている瞬間の歓びと哀しみの感動を感じること。観ると
  いうことは、自分が体現できないことを教えてくれることでもあります。
  (写真はジョルジュ・ドンのHPより
  http://www.jorgedonn.com/ballets.html
  生きているダンサーの、その瞬間の時間=いのちに出会うために、バレエを観にいきましょう。

  コール・ドの美しさを堪能したいのなら、舞台全体を俯瞰的に見渡せるやや後方あるいは、2階席を。このダンサーを観た
  いという強い思いがあるなら、あまり前方すぎない前の席を。
  当サイトでは、お勧めの公演をご紹介していますので、
  ご参考にのぞいてみてください♪


   バレエ公演情報

[☆バレエコラム17]
- A・ヘップバーンとM・フォンテーン -

                          

  バレリーナになりたかった
オードリー・ヘップバーン
ワイングラスになったマーゴ・フォンテーン

  オードリー・ヘップバーン(1929-1993)は、10歳の頃からオランダ アルンヘルム音楽学校でバレエを学び、
  その後アムステルダムで、そしてイギリスでは奨学生としてマリー・ランバートバレエスクールでバレエを学びました。
  その頃、祖母にあて「バレエを一生の仕事としたい」と手紙を送っています。第二次世界大戦中、灯火管制や集会禁止令の
  下でレッスンが困難となっても、家に練習バーを取り付け、シューズの代わりにフェルトのスリッパを履き、友人達とレッスン
  を続けました。時には講師として、窓の敷居や窓の桟をバーとして、子供達にレッスンもしていました。

  スレンダーな美しいからだのラインと凛とした姿勢。バレエ教師から、
  「花の茎のように堂々とごく自然に伸ばしなさい」

  と教えられたそうです。

  マイ・フェア・レディの衣装担当としてアカデミー賞を受賞した写真家セシル・ビートンは

  「目を見張るほどほっそりとしたまっすぐな長い首、垂直ラインを描くうなじから若枝のようなしなやかな弾力を感じさせる背中。
  オードリーのポーズは最先端のファッション写真にバレエの要素が混じったものだ。身のこなしが鶴やコウノトリを思わせる
  ように優雅で軽やかなのはバレエをたしなんだおかげだが、しぐさの美しさは生来持っている気品からくる。」


  とヴォーグ誌に寄せています。

  オードリー・ヘップバーンの長男ショーン・ヘップバーン・フェラーは、

  「母はシンプルであることの強みを信じて生涯を送った。ファッション、人間関係にいたるまで、『何が一番大切なのかをじっくり
  考えなさい。』とアドバイスしてくれた。」

  
と語っています。

  バレエリーナになりたかった、オードリー・ヘップバーンの憧れは、マーゴ・フォンティーンでした。
  感動の対面は、1940年オランダで行われたサドラーズ・ウェルズ・バレエ団の慰問公演。アルンヘルム音楽学校生徒代表と
  して、オードリー・ヘップバーンはマーゴット・フォンテーンに花束を贈呈したのです。

  2人を知る人は、とても似ているといいます。

  立居振舞いの落ち着き。穏やかで礼儀正しい、仕事に対する取り組み方や話し方。その柔らかく軽やかな話し方からも、
  誠実で魅力に溢れた人柄が滲み、それがそのまま聞き手の心に響く。


  58歳まで踊り続けたマーゴ・フォンテーン(1919-1991)。オーストリア LOBMEYR のワイングラス、バレリーナシリーズ。
  その繊細で美しいシェイプはマーゴ・フォンテーンがトウで立つ優美な姿をイメージして作られたものです。

  ファッションとスタイルの永遠のお手本とされるオードリ・ヘップバーンとワイングラスとしてデザインされたマーゴ・フォンテーン

  やはり、その姿に共通するものがあるのでしょう。

 参考文献:
  「AUDREY HEPBURN」母、オードリーのこと  ショーン・ヘップバーン・フェラー竹書房2004年


[☆バレエコラム18]
- 舞踊の神さま -

                                 

  4月です。お稽古事は、数え年6歳の6月6日から始めると上達するといわれていますが、思い立ったら吉日 
  という言葉もあります。4月から新しくバレエのレッスンを始めた方、4月を迎えレッスンに向かう思いを新たに
  している方に、舞踊の神さまについてお届けします。

  【ギリシヤ神話の舞踏の神  〜テレプシコラ〜】
  ゼウスとティタン族のムネモシュネ(記憶という意味)の「ミューズ」(別の呼び方はムーサ)と呼ばれる9人の
  娘の1人。こんな話が伝わっています。
  芸術を教え導く女神であるミューズは、才能ある芸術家すべてに霊感を与えましたが、本気で技を張り合ってくる
  者には誰であれ腹を立てました。自分たちの方が歌がうまいと豪語したセイレンに対しては、その翼を抜き取って
  しまいました。セイレンとは、上半身が女性で下半身が鳥の海の怪物、近くを通る船に向かい魅惑的に歌い、船に
  乗っている人を島に誘い、その命を奪う怪物です。

  【エジプトの舞踊の神 〜ハトホル〜】
  エジプトの天の女神、太陽神ラーの娘。
  悪霊を退けるという玩具、ガラガラに似た楽器シストラムを持ち、みずから好んで姿を変えるという呪物を持っています。
  喜びと愛、歌と踊りの神で、母親や子どもを守る。生ける者を養い、死せる者を黄泉の国まで運び死者を守る。
  ギリシア人はアフロディテと同一視していました。
  時には若く美しい恋人、時には慈愛に満ちた母という理想的な女性の象徴でもあり、女性たちの化粧をを司る、快楽や愛
  の女神です。

  【ヒンドゥーの舞踊の神 〜シヴァ〜】
  ヴィシュヌ、ブラフマーとならぶ3神1座をなすヒンドゥー教の主神。
  「舞踏王」ナターラジャと呼ばれます。
  108種もの舞を演じる吉祥の神。創造と破壊という、全く逆の2つの局面をもっています。
  破壊があってこその創造。すべての対立を調和させる神であることを表すように、半身男、半身女として描かれることも
  あります。最高位のダンサーであり、その踊りによって、宇宙の秩序を維持しています。
  象徴的な火炎輪を背にして左足を上げて右足で無知の悪魔アスラを踏みつけ踊っているポーズは、全ての宇宙の営みを
  示しています。(写真)
  自分の踊りで世界を創造します。が、しかし、疲れてくると踊りをやめてしまい、宇宙は混沌につつまれてしまいます。
  その踊りは生と死のサイクルを持つダンス。

  そのほかに、

  【ケルト神話の諸技芸神 〜ルグ〜】
  太陽神。すべての役割を引き受け、優れた狩猟者、優れた楽士、優れた組織者、そしてすぐれた王。

  【仏教の音楽・舞踊の神 〜緊那羅王〜】
  歌、舞をもって帝釈天に仕える。人の頭と鳥の身体。または馬の首と人の身体をもつ。

  などなど・・・世界中には神話に基づくたくさんの舞踏の神様がいます。

  そして日本の芸能の始祖神は天宇受売命 あめのうずめ。
  宇受は「かんざし」の意で、髪飾りをして神祭りをする女神、神懸った女性の神格化。
  天岩戸の神話で、須佐之男命の乱行に怒り、天照大御神が天岩屋に身を隠して世の中が暗闇となったとき、
  思金神の策により、太陽神である天照大御神の再生を願い踊りました。

  舞踊の神は太陽神あるいは太陽神に近く、そして舞踏は人類の最も古い「生」への讃歌なのです。

  参考:「ラルースの世界の神々神話百科」原書房


[☆バレエコラム19]
- 淀川長治さん -
                         

  土曜映画劇場での独特の語り口名セリフで親しまれた映画評論家。
  淀川さんの文章は、その語り口同様のユニークな文章です。
  たくさんの舞踊家をその目で見、生に体験した感動が、言葉の端々、行間からこぼれおちそうです。
  淀川さんのピュアな心の感性を、この本の中からお伝えします。

  バレエはオペラのようにせりふがない。歌う唄ではない。パントマイムというよりも舞台の「香水」。
  海底銀のウロコのおさかな
海底の銀の魚が海底の砂をかき散らしサーッと海上に浮きあがり、なおも満月の空に
  あがって銀のウロコを光らせて消え去った。
バレエはそのような夢をふくらます。


  すごい人にあってビックリして感激すると生涯忘れないものです。あまり古い記憶を忘れないでおぼえている人は
  「病気」なのだそうです。アタマの病気なのだそうです。きっとほんとに病気なのかもしれません。
  何もかもケムリのように消えるくらい忘れるのかもしれません。今のうちに、時計のハリがチクタクと動くのをこわく
  見つめているいまのわたし、そう もう死ぬよ、死ぬぞ、そのまえに、アタマのぼやける前にと、これをまとめて「本」に
  していただきました。

  「私の舞踊家手帖」より

  1998年、淀川長治さんは、89歳で亡くなりました

  4月10日はお誕生日です。

  感動・・・・・舞台芸術を創り演じる人々が創り上げるものを、観る側がどのように受け取るか。
  それはおのおのの、心の豊かさ次第です。心にそして全身に受けた感動の衝撃を、このような表現に残した
  淀川長治さんの心の純粋さ、感性に触れて、ステキなプレゼントをいただいたような思いです。

  写真は淀川さんが13歳のときに本気でバレエダンサーになろうと思うほどにバレエへの感動をくれた
  アンナ・パブロワの「瀕死の白鳥」


[☆バレエコラム20]
- 妖精 -
  
                         

  妖精(精霊)
たちは夜明けとともに消える

  バレエの中の
妖精というと・・・ジゼルの「ウィリー」
  結婚を前に亡くなった乙女たちが
精霊・ウィリーとなり、夜中に迷い込んできた人を死ぬまで躍らせる。
  ウィリーたちに捕らえられ、命を奪われようとするアルブレヒトをかばい、共に踊るジゼル。
  アルブレヒトが今にも力尽きるその寸前に、朝の鐘がなり、
ウィリーたちは墓に戻っていく。
  そして、ジゼルは朝の光を浴び、アルブレヒトに永遠の別れをつげ、朝のつゆとなって消えていく。

  舞踊の神シヴァ神を擁するインドネシアに、「ロロジョングラン=痩身の美女」というヒンドゥー教の遺跡があります。

  ラトゥ・ボコ王には、ロロジョングランという美しい姫がいました。若い貴族のバンドゥン・バンダワサに結婚を申し込まれ
  王は一晩で1000体の石像を作るという難題を与えました。
  バンドゥンは
精霊助けを得て、石像を作り始めます。
  もうすぐ夜明けという頃、あと一体となりました。困ったロロジョングランは毎朝の習慣である米搗きを、夜明け前に
  侍女に命じました。その米搗きの音に朝が来たと思った一番鶏が鳴き、夜明け前に戻らなくてはならない
精霊たちは
  慌てて姿を消してしまいました。

  それがロロ姫のしわざとしったバンドゥンは姫に呪いをかけられ、最後の一体の石像にしてしまいました。
  ボロブドゥールの遺跡が ロロジョングラン=痩身の美女といわれる所以です。

  現代によく知られているお話の
妖精ピーターパンに登場するティンカーベル
  ピノキオに心を教えてくれる、マリア、女神のような妖精シンデレラに、南瓜の馬車とねずみの御者を用意してくれ
  た
妖精童話として、たくさんのお話がある歯の妖精
などなど・・・

  朝陽には壮大な力があります。生命を育てる太陽の力・・・妖精(精霊)たちの神秘的な力は太陽の力の及ばないところが
  似つかわしい。


  写真:ジゼル 下村由理恵さん と ロロジョングラン


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